「縁の下のブー」②

 日が落ちるまで近所で遊んだあと、急いで自転車をこいだ。僕の家の斜め前には、タツヤのアパートがある。カラスが鳴いたので何気なく目をやると、タツヤの部屋のドアを開けて、見たことのない男の人が中へ入っていった。気にもしないで、自転車を下りた。

 僕の家は、お店をしている。お父さんとお母さんは白い仕事着に白い帽子をかぶって、いつも店に立っている。お母さんはショーケースの後ろに立って、笑いながらお客さんと会話する。その奥で少し太っちょのお父さんが、包丁を手に作業する。僕はランドセルを背負ったまま「ただいま」をいって、カラーボール野球でホームランを打ったことやカメの水替えをしたことを話した。お母さんは楽しそうに僕の話を聞いていると、そこへ夕方のお客さんがやってきたりする。

 気持ちのいい朝だった。庭には春の花が咲いて、そこから見える川沿いの木には黄緑色の葉が少し大きくなって茂ってきている。

「いってきまーす」

朝ごはんを食べ終わって挨拶をすると、僕は玄関をでた。その途端、滝(たき)が一度鳴いて、嬉しそうにその場をくるくる回りだす。滝は白い毛並の、ラブラドールレトリバーに似た雑種犬だ。僕は顔をぺろぺろ舐め回されないように、少し体を引いて頭をなで、物足りなそうな滝に、手をふって出かけた。

 午前中の授業が終わり、給食の片付けも済んで、昼休みの時間になった。がやがやとした教室から、校庭で遊ぶ人たちが教室を飛びだすと、廊下で飯塚先生の怒鳴り声が響いた。僕は急いで見にいって、廊下に頭を突きだした。もう一度、飯塚先生の声がした。

「こら! 廊下を走っちゃ駄目だろ!」

 注意しながら物凄い勢いで走ってくるので、廊下の奥にいた飯塚先生の姿が、どんどん大きくなってくる。タツヤや周りの人たちは慌てて、教室の中に逃げ込んでくる。そして雲の子を散らすようにしていなくなった廊下の真ん中に、たった一人ノブオだけが残っていた。

「お前だな、こら!」

 そういって、飯塚先生はノブオのうしろ襟をつかんだ。

「ち、違います、違います」

 ノブオは何が起こっているのか分からない様子で、必死に首をふる。

「言い逃れをするんじゃない!」

 先生が目をむき出していった。そしてノブオはその場で立ったまま、怒られ始めた。先生は薄い髪をなで上げ、まゆ毛の間にシワをよせて怒っている。飯塚先生の説教はしつこい。いつまでもいつまでも続く。

みんな笑っていたけど、僕はノブオの姿を見てイライラした。そんなんだから笑われるんだよ。しっかりしろよ。

 飯塚先生が声をきつく荒げるたびに、ノブオは瞬きを何度もして耐えている。

その様子を見てクスクス笑う人たちの真ん中に、大きなタツヤの姿があった。タツヤだけが笑わずに、目をしかめてノブオを見ていた。

 浅香さんは女子の友達同士で、足かけ前回りをしている。スカートの子は鉄棒に服を巻きつけて、くるくる回っていた。浅香さんは片足をかけたまま、声を上げて友達と話していたかと思うと、突然すごいスピードで回りだす。

 朝まで雨が降っていたせいか、周りの木の葉には水滴が残っていて、時々まぶしいほどに、日の光を弾き返してくる。

 僕はタツヤたちとドッジボールをしていた。力が強くて体も大きいタツヤが本気で投げると、そのボールを捕れるやつは誰もいない。だからいつも最後は、生き残って逃げまわる一人を、タツヤが仕留めるまで投げ続けるということになる。

 一緒に遊ぶ友達のいないノブオは、一人でよく飼育小屋の前にいる。小屋の豚は、すっかり大きくなった。僕たちが一年生だった頃には赤ちゃんのようだった子豚が、いまでは四十キロを超えている。ノブオが近づくだけで豚は動きまわって、短い鼻息で音をだし、いかれた振り子時計みたいに激しく尻尾を振り動かして喜んでいる。

低学年のときからノブオは飼育小屋の前に座って、よく豚に話しかけていた。そんな姿を見ていた僕たちは、いつからか飼育小屋の豚のことを「ブタ夫(お)」と呼ぶようになった。

ノブオの唯一の友達ってことだ。

 ブタ夫は「ミニ豚」という種類らしいけど、普通の豚が三百キロ前後になるのと比べれば「ミニ」というだけで、僕たちからしたら、かなり大きくなる。

ブタ夫が学校にやって来たころは大人気で、いつでも飼育小屋の前に、子供たちが人だかりをつくっていた。それが大きくなるにつれて子供たちの興味もなくなり、飼育するのも大変になっていった。五、六年生の飼育委員が世話をするのだけれど、餌をやりに小屋へ入った生徒が噛まれて怪我をしたり、散歩をさせていた生徒が足をひづめで蹴られて大怪我をする事故が起こった。それ以来、生徒が小屋の中に入ることは禁止され、鉄柵を改良して、小屋の外から餌をやるようにした。

 ノブオは五年生になると、すぐに飼育委員を希望した。餌はミニ豚用の配合飼料に野菜を混ぜて与える。小屋の餌やり口にある止金を外して手前に引くと、餌台が小屋の外側に口を開く。横から見ると扇形の餌台は、軽い力で手前や奥に動くようになっている。

 止金を外してやると、ブタ夫は鼻で餌台を押して外側にやったり、鼻で引っかけて内側に戻したりして遊びだす。ノブオも外から餌やり口の取っ手を持って動かし、ブタ夫の鼻を押したり、突っついたりして、よく遊んでいた。

 僕たちはドッジボールを終えて、引き上げようと歩いていると、飼育小屋の前にまだノブオが座っていた。いつもの光景なので、僕たちは気にせずに歩いていた。するとタツヤだけが立ち止まって、ノブオの方に目をやる。どうしたんだろうと思い、僕は歩きながらタツヤを見ていると、タツヤは持っていたボールをゆっくり地面におき、力いっぱい蹴り飛ばした。

 ボールは真っ直ぐ、凄い速さでノブオ目がけて飛んでいった。そしてそのままの勢いで、ノブオのすぐ横をかすめ、小屋の鉄柵に当たって大きな音を立てた。

 僕たちは、その音にびっくりして立ち止まった。でもノブオは反射的に驚くことなく、ゆっくりと振り返った。ノブオの顔は、死んだような顔だった。僕は怖くなって、目をありったけ開いて見た。

 タツヤは立ったまま、ノブオを見ている。ノブオも、振り返った姿勢のままタツヤを見ていた。そして音が消えたみたいに、二人が視線を合わせあった。

 不意にタツヤが歩きだした。何もなかったかのように、僕たちすらいないかのように。タツヤが歩きだすのと同時に、がやがやとした周りの雑音が耳に入ってきた。

 ノブオは座ったまま、そのまま動かなかった。ほんの少しの動きも感じられなくて、そのままその場所に溶け込んで、飼育小屋や周りの風景と見分けがつかなくなっていった。

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