スゲカエ ⑤


〈田中直也〉

 三限目のメディア文化論まで取り、直也は埼玉大学をでた。熊谷に向かう電車の中でも落ち着かず、朝からの漠然とした不安が居座っている。音楽を聞く気にもなれなくて、ただ車窓から流れる景色を見ていた。誠司の家に行く前にコンビニへ寄り、カフェオレを三つ買った。

 玄関に出てきたのは八郎太だった。八郎太について階段を上り、部屋の中に入った。床に胡座をかいて機械をいじっていた誠司が、ゆっくり顔を上げ「やあ」といった。口角を僅かに上げてつくった微笑が、八年間引き籠もっている誠司の精一杯の歓迎なんだと分かった。さっそく八郎太が新しいビジネスプランの工程表を広げた。スゲカエのスマホ用アプリ販売から展開する妄想込みのプランで、直也の役割もしっかり組み込まれている。

「直也の才能は人を取り込む笑顔なんだよ。誰も気づかないことを感じる繊細さもある。よく仏壇の直売会に連れて行かれたって言ってたよな」

 八郎太がいうと、直也は何度も話すネタ話のように述べた。

「小さい頃ね。にこにこ笑ってるとお客さんが寄ってくるから」

 それから三人は小学生の頃の思い出話や、好きなマンガの話をした。その合間に誠司が何度も「美味いうまい」と呟きながらカフェオレを飲んでいる。皆んなでスゲカエ動画を見始めると、直也は眼鏡をかけ、食い入るように観ながら「あれ」といった。

「この顔画像は竹内こずえだよね、アイドルの。最近SNSでアイドル辞める宣言してたでしょ。それから行方知れずで」

「ああ、地元だから気になってたよ。書道アイドルこずえちゃん。熊谷帰ってきてるんじゃないかってな」

 八郎太がいうのまで聞いて、誠司は堪らなくなった。

「ごめん、もう彼女の情報入れないで。イメージ壊れるから」

 誠司が顔を伏せていうので、この話はそれっきりになった。八郎太は思いついたように、予言の話を始めた。誠司が人のいう通りになりたくないあまりに、二日目に自分から降りてきたことを。

「誠司って昔から気が強いとこあって、引き籠もりタイプに思えないんだけどな」

「自分でも分からないけど、あの当時はそうするしかなかった」

 八郎太の言葉に、誠司は答えた。今日は工事の音も子どもの声もしない、静かな日だった。しばらく誰も喋らなかった。

「もしかして、自分自身が家族内の問題になって、家族の繋がりを保とうとしたんじゃないかな」

 直也がそう問いかけた。その言葉に、誠司は真っすぐ向き合っている。

「分からないけど。父さんが小学校の時に酷く暴れた日があって警察が来て、それから別居状態になった。それが四年前に帰ってきたんだ。下で会話が聞こえると少し安心した。僕のことを話し合っているようだった。父さんが家に帰ってきた後から、僕は下に降りて御飯を食べられるようになった」

 誠司が答えると、八郎太は昔のことを思い出すようにいった。

「誠司の父ちゃんが家の運送会社に来て話してるの見ると、いつも汗びっしょりで早口だった。何か気張りすぎてる感じがしてたな」

やがて秋の空気が混じり込んでくるように、時間もゆったりと流れる。そのとき直也が唐突に、俯いたまま吐露し始めた。

「誠司が学校に来なくなってから、何度も会いに行こうとしたんだ。でも行けなかった。結局、誠司の仲間だってクラスの奴らに思われたくなかったんだと思う。いまでも悔やんでる。ごめん」

 誠司の表情に癒しがひろがり、穏やかな笑みが浮かんだ。

「うん。でもあの時は、ただ自分が全て悪いとしか思えなかったから」

誠司の言葉が二人に染み込んでゆき、また三人は押し黙った。でも嫌な感じはしなかった。

 心地よい沈黙は、三人をなごませた。少しすると誠司が黒い箱型ゴーグルを取り出し、前面を開けて自分のスマホをセットする。スマホにはスゲカエの試作アプリがインストールしてあり、誠司は直也にゴーグルを渡した。ゴーグルを目の位置にセットした直也は、ゴムバンドで頭に固定すると、真っ暗な目の前のスマホ画面にカメラを通した前方の映像が映し出される。視界は狭いが立体に見える。誠司はゴーグルをした直也に向かって、笑ったり怒ったり変顔をしてみる。直也の目には笑ったり変な顔をする竹内こずえと、何をしてるのか分かっていない阿呆面の竹内こずえの二人が映る。

「僕はこの何ヶ月か、外に出たいと思い始めてた。このゴーグルをつけて、町でテストしたいなって思ってたんだ」

 竹内こずえが、誠司の声をして言った。


  〈竹内こずえ〉

 ほんとの私はこんなんじゃないです。正直いって違いますよ。もっと素直だし擦れてもいないし、何より気長でおっとりしてて、天然さん♡なんて見られちゃうこともあったりして。いや本当。でもレアな状況にいるわけで。私が。八方塞がり、四面楚歌。振付師の久美子さんに楯突いた辺りからかな。中学生の頃にオーディション重ねて、やっと十六歳で立ち上げから関わったアイドルチームだったのに。一人二百枚も無料ライブのビラ配って二人しか来なかったところから、やっと売れてきたのに。それをちょっと第二次停滞期に入ったからって。年功序列の体育会系でやってきて、後期メンバーは衣装まで格下げだったルールを、プロデューサーの中村がさ。今日からは皆んなフラットに競争原理を取り入れようって、なんで入ったばかりの十二歳がセンターなんだよ。おい、中村! てめー久美子さんに影響され過ぎなんだよ、出来てんのかコラ。こっちは散々競争してきてんだよ、何人辞めたと思ってんだっつーの。だから皆んなを代表する気持もあって久美子さんや中村に苦言を呈してきたのに、初期メンバーまでが「竹内はもう無理だと思います」って、おいおい裏で散々いってた愚痴の数々は何だった訳? ダメ押しは大好評だった年二回の演劇舞台だよ。将来的には女優の道をなんて思ってた私は、バイトもダンスのレッスンも気が遠のいて居眠りしちゃうくらい芝居の練習してた。その主役の私を、なんでスゲカエんだ。おい中村、もともと私の企画なんだよ!

 私は自販機横のごみ箱を蹴り飛ばした。ごみ箱は勢いよく倒れ、空き缶が無数の音を立てながら散乱した。ってイメージで蹴り飛ばしたのに「痛てー」何これ、なんで固定されてんの、このごみ箱。えー最近のごみ箱固定が普通? 最新ごみ箱事情調べときゃよかったー。それともここだけ固定? あーもー何もかも上手くいかない。

 私は自分自身を立て直さなければいけない。そう思って アイドル引退宣言をし、野口白汀先生のお墓参りもしたのだ。私、書道の得意な書ドルって冗談じゃないからね。書道が私を支えてくれてる。

 我が敬愛する野口白汀先生の書により、私は書道を好きになった。先生の既成概念に捕われない自由で無垢な書。書道って絵や音楽みたいなんだなって、その奥深さを知った。


 幼い頃に御両親を亡くされた白汀先生は、熊谷の大空襲に遭われた。その日は空襲警報が鳴らなかった。エンジンを切り低空飛行してきたB29が、町を一瞬にして炎火の世界に変えた。火は真っ赤というより、黄色や白っぽく見えた。荒川の支流に逃げた多くの人たちは、焼夷弾の油が広がり火の川に飲み込まれた。翌日、死体だらけの焼け野原で、自分はどう立ち直り生きていけばいいのか考えたという。そして小学校の時に褒められた、書道を思いついた。日本がある限り書道は無くならないと考え、書の道で生きていくことを決めた。その日から練習を重ねた。紙はなかなか手に入らなかったが、書くものには困らない。荒川の石に書いたのだ。何とも書き心地がいい。そこら中に転がっている木片にも書いた。これは何とも味のある書き心地で、白汀先生はあらゆるものに書き続けた。
 まだ色々な話がある。熊谷の田舎育ちで「泥臭い」字の話とか、壁を越えられない時に波打ち際で書いた字の新鮮な驚きの話とか。松井如流に弟子入りしてからは日展入賞を目指し、連日深夜まで腕が上がらないほど書き続け、締め切り当日の朝に眠ってしまった。そこへやって来た松井如流が、部屋に散らばる書の中から一枚を取り上げた。それにより初の日展受賞をした。このことから白汀先生は、小さな頃に荒川の川縁で大きな石をどかした時の事を思い出したという。石をどかすと川の水と泥が混ざって濁る。それを両手で掻き出し切った地面から、透き通った清水が湧き出してきた日のこと。書いて書いて精魂尽き果てるまで書ききらなければ、濁った水は無くならない。その果に、清らかな水が染み出してくる。


あとは白汀先生が弟子を取るようになってからの、気遣いの本質の話とか。白汀という名の由来の話とか。これ書き残さないとイカンでしょ。何で野口白汀のウィキペディアページとかないの? 私が落ち着いたら編集するけどさ。落ち着けないのよ。あー私の人生、白汀先生の人生と違いすぎる。同じ熊谷だったのに、生前お会いすることが出来なかった。私が九才の時に亡くなられたから。今年で没後十年。私はこのザマ。

 熊谷のご当地百貨店である八木橋の角を曲がって、私は大通り沿いの歩道を歩いていった。人の笑ってる顔とかムカつく。あー誰でもいいから、ぶっとばしてー。

 てか何、まえから歩いてくるの。黒い弁当箱みたいのを顔にくっつけて、三人横に広がって。邪魔だろ、てゆーか前見えないだろ。私の排他的不愉快水域に立ち入りやがったら、速攻蹴りいれる。

うわー意味分かんないこの男三人、ぶっとばしてー。

 

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