諦めると成る シリーズ ②
この記事は、動画の音声を書き起こしたものです。
こんにちは、「諦めると成る」シリーズ の第二回目をお送りいたします。
第一回目の動画でご紹介したエピソードから、次のような洞察を得ました。
” この「諦めると成る」というのは、何度も本気で挑戦した果てに、「自然と」諦めの心境に達するあたりに秘密があるような感じがありますね。”
しかし今回ご紹介するエピソードからは、その洞察を揺るがすような内容が含まれています。
果たして、「諦めると成る」という奇跡のシクミはどうなっているのでしょうか?
さっそく見ていきましょう
まずは、美術家でありグラフィックデザイナーや作家でもある横尾忠則氏が、仕事でアマゾンに行かれたときのエピソードです。
” アマゾンでピラニアを釣ろうと行ったとき、気が乗らず本を読んでいると「横尾さんも釣りましょう」と声がかかる。仕方なく皆んなが釣るボートの向こう側に行かずに糸をたらしていると釣れた。皆んながこっちが釣れると集まると横尾の場所がなくなり向こうに移動して一人糸をたらす。するとまた釣れた。そしたら他の人がいう。「横尾さんが釣れるのは、釣る気が無いから」だと。無心だからだと。”
「想像&老年」P123,124
これは「ビギナーズラック」と呼ばれる現象ともいえるでしょうか。この世の原理として、無心で無欲だと物事がうまくいくというものがありそうですね。
次のエピソードは、俳人である金子兜太氏と横尾忠則氏の対談のものです。
金子兜太
「科学的な考え方が主流になってしまうと、眼に見えるものばかりに価値を認めて、科学で理解できないものは存在しないという考え方になってしまったと思うんですね。
私は、見えないものを感じることこそ、ものを創る根幹になると思うんですね。それがないとものを創れないんですね。見えないものの力によって何かインスピレーションが湧いて、思わぬ発想をします。で、言葉が出てきたりしますよね。そういったものは、理屈や知識、教養で生んだ言葉ではない」
横尾忠則
「おっしゃる通りですね。そういう言葉が出るときは嬉しいですね」
金子兜太
「考えて考えてものを創ったことに対しては執着があって、人にけなされると腹が立つんだけど、そういうふうに生まれたものは、批判されても全然気にならない。不思議と執着心が消えてしまう」
「創造&老年」P167,168
金子兜太
「その努力をする必要もないし、努力をすればそれだけ自分の自我が出てきて人と競争しないといけなくなるけど、努力なしで出てきたものに関してはそこに自我が入ってこないですよね」
「創造&老年」P172
俳句と美術という道を歩みつづけてこられたお二人の言葉には、それぞれ重みがありますね。
努力をするとそこには執着や自我がでてきて、腹が立ったり競争関係に巻き込まれるという指摘は興味深いと思います。
第一回目の動画で得た「何度も本気で挑戦した果てに、自然と諦めの心境に達する」という洞察の、「何度も本気で挑戦した果てに」という努力の部分は、自我や執着から抜け出るための過程なのかもしれませんね。
その果てに上手くいかなくて「諦める」と、ふっと自我や執着から解き放たれて、物事がするすると「成る」のかもしれません。
今回ご紹介したエピソードの書かれた本のリンクを、概要欄に貼っておきますね。
それでは、次回のシリーズ3をお楽しみに。