
人生の道が分かれるとき、
どちらに進むのか頼りになる判断基準
【いかに生きるか】
この記事は、動画の音声を書き起こしたものです。
人は生きていると、人生の分かれ道にさしかかることがあります。
関わっている人との付き合い方を今後どうしていこうか、この先どんなことをしていこうか、争いごとのなかでどう対処しようか。
どちらの道を進もうかと迷ったときに、多くの場合、どちらが損か得かで選んだり、感情的になっている場面では怒りにまかせた道を突き進んだり、相手を懲らしめてやろうという道を選ぶこともあるでしょう。
その場ではよくても、年月を経てから思い返したとき、その時の選択をどう感じるでしょうか。もし気持ちの良い記憶でないとすれば、損得や感情に突き動かされた選択では、人の幸福感や満たされた感覚へ通じていないということになります。
この動画をご覧になられている人は、いまよりもより良く生きていきたいという気持ちを持たれている方でしょう。その場の感情を揺り動かされるような状況で、あとから思い返しても後悔のないような選択を、その場その場の判断でできるのでしょうか。
実はとてもシンプルで、頼りになる判断基準があります。
それは「清々しい道」を選ぶということです。
これは私の人生のなかで見つけた判断基準でもありますが、他の人の人生の話を聞いていても、とても喜ばしい表情で、いい記憶として話される人生の岐路の場面では、「清々しい道」を選ばれているなという経験談に何度も出会っています。
人生の分かれ道で、どちらの道にすすもうかというとき、「清々しい道」はどっちだろうと考える。この判断基準で選択するならば、とても明快でありながら、その場で正しい選択ができそうではないでしょうか。
雨上がりの澄んだ空気につつまれる朝や、知らない人と気持ちよく挨拶を交わしたとき、誰かの役に立って笑顔で感謝されたときなどの気持ち。
なにか一つでも清々しさを感じた経験があれば、その時の感覚を頼りに「清々しさ」を人生の岐路に立ったときの指標として使えます。
損得や感情の葛藤をこえた清々しい道には、周りの人の喜びや、感謝や、笑顔があります。そして周りの人があなたに清々しい対応を返してくれると、あなたの中にも喜びや笑顔が生まれるという好循環の流れに入っていけるようです。
だから人生の岐路で「清々しい道」を選択された方の話には、笑顔が絶えないのでしょうね。