A Strange Affinity

 

いつもと違う朝だった。

焼きすぎたトーストにアップルバターをぬりながら、ママの不出来な小言を聴きながら、ここ数日つづく離人感が漂っているのを改めて自覚していた。

そもそも何でこんな事になったのか考えてみるけど、駄目だ、頭が混乱している。

 

曇り空を見上げて通りにでると、隣のおばさんが自慢のローズガーデンを手入れしながら声をかけてくる。いつもみたいに理想的な返事をかえすことなく、ただ黙って通り過ぎる男を俯瞰するような感覚で、僕は通り過ぎた。

 

「過去が侵食している」

 

その可能性についてまた考えた。博士の言葉が抑揚を伴って繰り返す。

そうだ。

混乱の始まりは サンマテオ パブリックライブラリーだ。少年が立っていたのだ。僕の前に。

少年はハードカバーの分厚い本を、僕に向け掲げていた。本の重みに手が震えていた。

彼の服。浅黒い肌。疑いの無い大きな目。輝いているだろうその目は、見れなかった。

 

思わず僕は少年を押し倒していた。その事実に気づき、動揺してその場を立ち去った。

図書館の廊下に、僕の靴音が反響する。

少年の姿を捉えた瞬間、生々しい映像に襲われたのだ。

完全に忘れていたことを、生き直したといっていいほど、はっきりと思い出した。

 

少年の日のことだ。同じ サンマテオ ライブラリーで。僕は虚ろな青年に本を掲げたのだ。

「この本は誰が書いたの?」。

ママに頼まれた本か知りたくて。

その青年は僕の言葉を聞く間もなく、僕を思い切り押し倒した。その日から何日も、大人の男が怖くなったことも。

 

「過去が君の今を侵食している」

 

そう博士が断定する出来事が、僕の身の回りに起こり続けた。そして混乱していった。

いつが始まりで、なにが終わりなのか。

誰が僕で、僕は何者なのか。

 

ミゲルが屋上にでも行こうと誘ってきた。

気がつくともう昼になっている。きっと僕の危うい状態を感じ取ったのだろう。

ホール横にあるフードベンダーズでクラブサンドを買って、大学本館に入った。

学生たちで賑わう館内レストランを過ぎると、屋上への階段が続いている。

喧騒が少し遠くなって、薄暗い階段をミゲルにつづいて上った。

 

「始まりのように過去が君を侵し、終わりのように未来が繕っている。解るかな。或いは終わりだと過去が要求し、始まりだと未来が宣言すると言ってもいい」

 

博士の言葉が甦る。その意図は僕の窮状に対するヒントなのか、それとも哲学的な問いなのか。

階段を上りきって外に出ると、秋風がかるくドアを押し返してきた。

もうしぶんない天気だろう。穏やかな青い空を、鳥たちが声をかけ合いながら飛んでいく。

広場のベンチではランチをとり、まだ青さを残す木々にそって学生が歩いてゆく。

 

ミゲルの声が聞こえた。

その言葉は意味を持たない波のようにすり抜け、僕は揺れる枝の動きをただ見ていた。

緩やかに揺れて、折り返す。葉々が複雑に風を受けて枝を揺らし、また折り返す。

たった今あった場所には、もう存在しない。

歩く人を見た。何かが彼らを突き動かしている。そう感じた瞬間、景色が輝いた。

 

世界が光に溢れた。

風とも粒子ともいえる光の力が、枝を、人を、あらゆるものを動かしている。

これは数日前にも見た光景だ。そのときは数秒しか続かなかったが、いまはまだ見えている。

よく観察した。そのときの僕は落ちついていた。

やがて目映い光景が色褪せてくると、ミゲルの声が聞こえてきた。彼は僕をゆすっている。

ごめん、ミゲル。僕はそう言って、走りだした。サンドイッチも、荷物もそこに置いたまま。

 

階段を勢いよく駆けおりて、廊下を走った。

スカイウォークを抜け、実験室を過ぎる。視界が流れていき、僕は資料庫を越えて走る。

時間の片鱗が抜けるように、一枚いちまい色褪せた世界の色彩が剥がれ落ちていく。

僕は、赤子の産声を希求する無欲な風みたいに、モノクロームになってゆく世界を駆け抜けた。

 

「博士、アインシュタイン博士!」

 

研究室のドアを開けて僕は叫んだ。

博士はいつもみたいに落ちついて振り向き、優しい目を向ける。

 

「答えは、見つかったかな」

 

白い髭を弄りながら微笑む博士に、僕は捲し立てた。

息も乱れたまま、一気に語った。

 

――博士、あなたが言うように過去や未来は在りません。「時間」は無いんです。

在るのは方向性を持った力。

捉えどころの無い抽象的な「方向性の力」を理解する方便として、人類は「時間」という概念を用いた。

抽象的な「方向性の力」に、やって来た方と、やって行く方があるとして、やって来た方を「始まり」「過去」とし、やって行く方を「終わり」「未来」として、「時間」という概念を使って捉えた。人類は大成功を収めた。捉えどころの無い「方向性の力」が、まるで予測可能かのように理解できたからです。

その「力」が、素粒子を動かしている。

細胞を活動させ、枝を揺らし、鳥を羽ばたかせています。

そして星に動きを与え、銀河を過流させている。

僕たちには記憶がある。過ぎ去った日の記憶があり、これから起こるだろう事を予想する。

これは「時間」の概念によって、分かりやすく整理されています。

でもそこに過ぎ去った時間や、これからやってくる時間は無い。

あるのは今、この「瞬間」だけです。

博士、僕たちはとても重要なことを忘れてしまった。

「時間」の概念を使い「方向性の力」を予測可能なものとして扱ってきた歴史が長すぎたせいで、その始まりは方便であったことを忘れ、いまでは事実かのように思い込んでしまった。

太古の人類が初めて直面した真実。

それは「方向性の力」が、予測不可能だということです。

いまこの瞬間の次に、「力」の振る舞いを予測することは出来ないという事実です。

 

「まあそう急ぐな」

博士はどこまでも見通せる透明な湖のように、澄みきった瞳で僕をみている。

「答えがあるとすれば、それは常に個人的なものさ。何故なら我々はみな、同じ世界のことについて語りえないのだからな」

 

――それはおかしい。だって博士は、世界を数量化して語っていた!

 

「例えばこういおう。いま君は、こうして私と話している。二人は同じ『瞬間』に在るだろうか」

 

僕の勢いは、戸惑いによって押しとどめられた。

その時、まったく予想もしなかった、立ち眩むようなまでの絶望にも似た孤独感が押し寄せた。

 

「少年を思い出せ。浅黒い肌、疑いの無い大きな目。あの少年の顔を思い出すんだ。真の答えは、常に個人的なものなんだ」

 

僕らの密会が終焉を迎える合図かのように、博士は立ち上がった。

椅子を引く音が響いて、僕の体が一瞬震えた。

 

博士がゆっくりと背景に溶け込んで見えなくなってしまいそうな刹那、いつもみたいに振り向いて、優しく僕に笑った。

窓の外には空が見えた。薄っすら赤みを帯びた雲と、青さを残す夕方の空が見えた。

 

                           

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