
幸せに生きるには、誰かの、何ものかのせいにしない
シリーズ「いかに生きるか」
この記事は、動画の音声を書き起こしたものです。
私たちは何のために生きているのでしょうか。
人生のなかで感じる、苛立ちや怒り、嫌悪や嫉妬、満たされない思い、挫折感。
そのたびに、つらい思いや、苦難に出会います。
そんな思いまでして、何のために生きてゆくのか。
苦難のさなかで、私たちは上手くやり過ごせたとき、それ以前にはなかった「自信」を得ることがあります。
苦難に翻弄されて、疲れ果てて、やっとそれが過ぎ去ったとき、私たちは自分の不甲斐無さに打ちひしがれますが、やがて時間とともに自分自身のバランスを取りながら落ち着きを取り戻したとき、どこか以前にあった自分の粗雑さが薄まって、新しい謙虚さを身につけていたりします。
苦難や失敗する出来事がなければ、自分には身につきようもなかった精神性を得ていると気づくとき、人生とは、こころや精神性を高めるための必要な過程なのだと思い至ります。
そうやって、若いころには粗削りで、尖ったところが沢山あって、人と接するとぶつかったり、嫌な思いばかりしていたのに、いつしか自分のペースで生きられるようになっていたりしませんか。
あなたが奮闘しながらも身につけてきた、高い精神性のお陰です。
だから、苦労ばかりして、損な人生だったなんて思わないでください。
あなたは人生のなかで、ふつうでは得難いものを勝ちとっています。
世間には「若いほうがいい」という価値観が溢れていますが、「高い精神性」や「成熟したこころ」を重んじるならば、苦労した年配の方のほうが尊いということになります。
数十年前までは当たりまえだったこの感覚がなぜ無くなってしまったのかといえば、精神やこころよりも、物や経済を優先させ過ぎてしまった社会の結果ではないでしょうか。
でも、この風潮が変わろうとしています。
世界は、物質優先の時代から、精神性を優先する時代へと移り変わっています。
あなたが身につけた優しさや謙虚さが、時代の移り変わりを後押ししています。
でも、苦難や失敗する経験を、精神性向上に繋げられない場合があります。
そんな場合は、何が違うのだろうかと観察してみると、苦難や失敗を精神性向上に繋げられたときとは、違う状況を見つけることができます。
苦しい経験から、さらに憎しみや怒り、憎悪などしか生まれない場合には、必ずといっていいほど、誰かの、何ものかのせいにしています。
自分の身に降りかかってきた苦難や失敗を、誰かの、何ものかのせいにしているとき、そこからは、人を不幸にするような、負の感情しか生まれてこないんですね。
人は思いもよらない辛い出来事に出くわすと、誰かの、何ものかのせいにして、怒りや不満をぶつけたくなるものです。
でも冷静に、人生という複雑で摩訶不思議な構造物を観察してゆくと、誰かの、何ものかのせいにして事を済ませてしまうやり方には、注意が必要です。
湧き出てくる負の感情が、さらに不幸な事態を呼び込んで、不幸の連鎖に繋がっていきます。
例えばその時、どんなにつらくても、苦難や失敗を「自分自身の挑戦」ととらえて、立ち向かってみる。
その態度からは落ち着きが生まれ、知恵が生まれ、勇気が生まれます。
そしてその苦難を乗り越えたあなたは、さらに大きな苦難に対峙する「強さ」が身についていることに気づくでしょう。
そうやって人は、精神性を高めるための連鎖に入ることができるのですね。
あなたに備わった、成熟した優しさは、きっと誰かの痛みを癒し、喜びに導くことでしょう。