自分の机に向かって、僕は絵を描いた。E259系やE26系カシオペア、新幹線や在来線。僕の好きなもので埋め尽くした。
途中でHBの鉛筆が紙に引っかかるような、ギスギス硬い感じが気になってきた。たしか一本だけあった2Bの鉛筆を探した。それで描くと、やわらかく紙につく感じがして落ちついた。
次の日の朝、お父さんの声がして目が覚めた。いつもの時間、六時ちょうどに。
「いい天気だぞー、裕明。さあ、起きろ」
いつもより、ちょっと元気を足しているような声だった。僕は壁のほうに寝返りをうった。また、お父さんの元気な声がした。
「いかないよ」
壁に向かっていった。お父さんが何かいいかけたのをさえぎって、僕はいった。
「いきたくない、走りたくない!」
耳まで布団をかぶっていたけど、お父さんが出ていったのは分かった。思ったのと違って、静かにドアが閉まった。
教室に入って席につくまで、誰とも目を合わせないようにしていた。あっちからも、こっちからも聞こえてくる話し声が、僕のことをウワサしてるんじゃないかと思った。笑い声がすると、自分の転んだシーンを思い出した。僕は教科書を出すふりや、筆箱の中を確かめるふりをした。
笹岡先生が入ってきた。助かったと思った。笹岡先生は黒い髪よりも白髪のほうが多いおばあちゃん先生で、みんな先生が大好きだった。先生はいつもみたいに楽しそうな笑顔で持ってきた本を置くと、笑顔のまま顔を上げて僕たちをみる。
笹岡先生はきのう伝えられなかったからといって、運動会の話を始めた。僕は一瞬、息がつまった。先生は一人ひとり頑張っていた場面を、二つも三つも上げていった。大樹は足を怪我しているのに、玉入れで沢山投げ入れたこと。アヤコが捻挫した悠太の包帯を巻きなおしていたこと。太っちょのミッチーは綱引きで大きな声をだして、みんなを勇気づけたこと。
貴広はリレーの前に緊張しすぎて、青ざめた顔してるから先生は心配したこと。貴広の青ざめた顔を思い描いて、みんな笑った。でも、いつも以上に力を出せたことを先生はほめた。うれしさを隠し切れないみたいに、貴広は少し笑った。
僕が転んだのは、後ろから追いつかれそうになって、あせったからかなって先生はいった。どきどきした僕は、先生から目をそらした。
「あのとき、うれしかったー」笹岡先生はいった。「起き上がってからの顔とか、ずっと遅れてるのにすごい速さで追い上げる姿とか。いま思い出しても、じんとしてくる。ありがとう、裕明くん」
驚いた顔して僕が先生をみると、いつもの笑顔でわらっていた。
解けない呪いのようだと思ってた大失敗が、たった一日で解けた。僕はきのうから一度も息をしてなかったみたいに、初めて息をすった。おいしい空気だった。
問題児で乱暴だった貴広が落ちついたのも、笹岡先生のクラスになってからだった。母親のいない貴広にとって、先生はお母さんのようだったんじゃないかな。だって貴広が最初に、この運動会で優勝しようっていいだしたんだから。もちろん、このクラスを最後に定年退職する、笹岡先生のために。