オクターブの世界 ④

    三日目

 

 次の日の学校の、それは休み時間に起こった。

 私はレイちゃんと『ゴジラと熊さん、ラブLOVE』ごっこをしていた。レイちゃんが「ゴジラと♪」といって私を見つめて指さし、私が「熊さん♪」とレイちゃんを横目で見て指さし、二人そろって「ラブ、ラブ~♪」と両手で胸をドッキンドッキンさせたり、足をヒザから激しく上げたりしながら踊る、二人の仲直りダンスごっこ。

 これを、最高の笑顔で踊りつづけるんです。

 ゴジラと♪、熊さん♪、ラブ、ラブ~♪、ゴジラと♪、熊さん♪、ラブ、ラブ♪、ゴジラと♪、熊さん♪、ラブLOVE♪ドッキンドッキン、ゴジラと♪、熊さん♪、ラブ、ラブ~♪

 二人はいつもこんな感じなので、クラスの友達は気にもしていません。

 そんなところへ運悪く、ノブオくんが歩いてきた。

「はーい、ノブオくん。ゴジラと♪」

 レイちゃんは最高の笑顔でノブオくんを指さした。

 ノブオくんは下を向いたまま、通りすぎていく。

「はーい、こっち向いてー。熊さん♪、でしょ。ノリ悪いね~」

 レイちゃんは、おかまいなしにつづけた。

「今日もゴジラの靴下だね~。ノブオくん、何足持ってるのかなー」

 レイちゃんはノブオくんに、エアーマイクを向けた。

「これはプレゼントで……、お父さんに買っ……」

 ノブオくんは顔をくしゃくしゃにして目をつむった。

「お父さ……、お父さんが……、家出しちゃっ……」

 つむった目のはしから、まん丸い涙がひとつ落ちた。

「え、どーいうこと?」

 ノブオくんには聞こえていなかった。もうケイレンしたように、体をふるわせながら泣いていた。

少ししてノブオくんが落ちついてから、私はもう一度、やさしい声で聞いてみた。

「昨日……、僕が学校に行って、お母さんはパートに出かけたあと、お父さんは仕事に行くまで家にいたんだけど。帰ってくる時間になっても戻らないから、お母さんが会社に電話をしたら、今日は仕事に来ていないって。そのまま、お父さんが帰ってこないんだ……」

 ノブオくんの様子をみれば、冗談だなんて思えない。

 エアーマイクの手を、レイちゃんは気まずそうに下ろした。

 なんでママは帰ってきてないの。もう三日目だよ。

 家に着いてすぐリモコンのスイッチをいれ、部屋の真ん中に『大』の字になって寝ころんだ。なーんにもない黙ったままの部屋が、あるときには時計の針が動く音や機械の低いうなり声で、うるさいほどになる。

 どれくらい時間がたったのか、部屋が涼しくなっていて、調子よくエアコンが動いてるのに気づいた。

私はママがいなくなったことを、クラスの誰にもいえなかったのに、ノブオくんて正直な人だな。みんなの前で泣けるノブオくんが、少しうらやましかった。

そこへタっくんが帰ってきた。いそがしそうに部屋の奥へいくと、すぐに新幹線メガネを磨きはじめた。真剣に手をうごかす、ちいさな背中がゆれている。

あまえんぼうのタっくんは自分を変えてまで、ママがいなくなった出来事に向かい合っていた。私は自分のなかの不安な気持ちから、逃げてばかりいるのに。

磨いていたタっくんは思いついたように立ち上がり、タンスに向かった。

「お母さ……」

 タっくんが言葉につまって、私も気づいた。

あ! コップの中の水が、ない。

 タっくんは慌ててコップを手にとった。光にあて、目の前でコップをのぞくと、ほんの少しだけ水が残っている。

 きょうは暑かったから、パパのいったとおり蒸発してしまったんだ。

 タっくんは誕生日プレゼントにもらった、顕微鏡の箱を出してきた。その中から、実験に使うスライドガラスを取り出した。

 スライドガラスに残った水をうつそうと、タっくんはコップをかたむける。でも内側をつたう水が少なくて、コップの口のところで止まってしまった。しかたなく口をスライドガラスにつけるようにして水滴をうつす。たった一滴にも足らない水玉がスライドガラスにのり、その上に薄いカバーガラスをかぶせることができた。

「これで大丈夫」

 タっくんは、ふーっと息をはいた。

「タっくん、本当にママがこの中にいると思ってるの?」

「います。これで見れば分かります」

 新幹線メガネをかけたタっくんは、スライドガラスの水を観察し始めた。んん~っと唸って集中すると、レンズがにょろにょろと伸びていく。

 そこに、お父さんが帰ってきた。

「パパお帰り、早かったね」

「ただいま」といいながら、パパはずかずか歩いて、水滴が入っていたコップを手に持った。

「パパは決めたぞ。お坊さんに、コップをお払いしてもらうんだ」

 パパはいいながら、コップの中に気づいた。

「うわ、水が無いじゃないか。大変だ!」

 今度はどたばた歩いて、台風みたいに家を出て行ってしまった。

スライドガラスの水を観察していたタっくんは、新幹線メガネをはずして、声をあげた。

「ダメだ、これ以上、電子に近づけない!」

 タっくんに新幹線メガネを借りて、私も水を見てみた。

 水の世界は、ファミレスで見た紙ナプキンや塩の世界とは、全然ちがっていた。

それは、ひかり輝く森の中に、忍び込んでいくようだった。もっと小さな世界に入っていくには、集中しないといけない。私は『もっともっと見たい。小さな世界を』と念じて、目の前の光景に集中した。

すると光が無くなっていって、真っ暗になってゆく。そして宇宙を飛んでるみたいに、闇のなかに沢山の星が光っていた。

「すごい、きれい」

 集中するほどスピードが上がって、星々が私の後ろに流れていった。

 そしてあるところで、急にブレーキがかかって止まってしまった。

 そこには太陽のように輝く、まぶしくて大きな星があった。そして太陽の周りをまわる水星や金星、火星、木星、土星や天王星、海王星のように、小さな星がある。図鑑で見る、太陽系にそっくり。

 そのなかで青く光る小さな星に、私は目を奪われた。

「地球に、そっくり」

 真っ暗闇の世界でたった一つ、生きる力がみなぎっている星。

「お姉さんが見ているのは、酸素原子です。太陽にみえる大きな星が、原子核といいます。そして原子核の周りをまわる小さな星が、電子です。地球に似た星も、電子の一つです。そして電子とはこの世界でもっとも小さな粒で、僕たちの住む世界はすべて、その粒たちが集まって出来ているのです。きっと電子の地球に、お母さんがいるはずなんです」

「このなかに、ママが……」

 全体からみると、地球に似た星は、とても小さかった。

「その地球に、もっともっと近づいて、なかの世界を見たいんだけど。もう、メガネの能力の限界です」

 天才モードのタっくんが、くじけそうだった。

 パパはコップのお払いから帰ると、「もう大丈夫」といってコップをタンスの上に置き、そのまえにお札を貼った。ひと仕事終えて満足げにぐうたらしていたパパは、テレビをつけたままうとうと寝ちゃいそう。

そんなパパをほおづえついて見ていたら、ぺこぺこだった私のお腹が音をたてた。その音といっしょにパパが起き上がったから、おかしくて笑っちゃった。よだれをふきながら、パパはシチューを作りはじめました。ちょっとコゲた味がしたけど、おいしかった。

 その夜も、ママは帰ってこなかった。どうして? 電話では、今日までに帰るっていってたのに。なんで帰ってこないの、ママ。

 部屋にお布団をしいて、パパが真ん中になって寝た。新幹線メガネで見た電子の地球に、ほんとうにママがいるのかな。もし、あの星にいたとしても、帰れないんじゃないかと思った。だってこの世界で、一番小さな粒だもの。どうやって、そこから抜け出せばいいのだろう。

 タっくんは、新幹線メガネをかけたまま寝ている。へんなの。パパがいびきをかき始めたから、私はあっちを向いて目をつむった。

 その夜、不思議な夢をみた。

 私は地球の上に立っていた。宇宙の果てしない広がりを感じながら、青白く光る、大きな地球に立っていた。

 上を見ると、階段のように鍵盤がつづいていた。それはただ見ているのもイヤなほど、なにかが怖い。地球を越えて、上の鍵盤に行ってはいけない、そう感じた。自分の世界ではないと思った。

 下を見ると、同じように階段の鍵盤がつづいている。私は大きな地球をけって、下の鍵盤にジャンプした。着地すると、とても安心する「シ」の音色が鳴った。私の世界の音だった。そのまま鍵盤を一つひとつジャンプして、階段を下りていく。「ラ、ソ、ファ、ミ、レ」と、心地いい音がした。「レ」の鍵盤をけって下に降りると、そこは鍵盤でなく、世界で一番小さな電子の地球だった。

小さな電子の地球に降り立つと、「ド」の音がした。

 そこから下を見ると、また鍵盤がつづいている。でもそこから下へは行っちゃダメだと感じた。ここから下は、私の世界じゃない。

 もしかしてママは、この下の鍵盤へ足をふみはずして、落ちていってしまったのだろうか。そう思って、もう一度下をのぞくと、恐ろしくて体が震えた。下の鍵盤に落ちたら、もう助からない。

「ママ!」

 叫ぶのといっしょに、私は起き上がった。怖くて汗をかいていた。

 深く息をすいながら、まわりを見た。パパは寝ているけど、タっくんは少しうなされているようだった。

「ママ…、ママ……」

 いつものタっくんみたいに、ママを呼んでいる。新幹線メガネをかけた頭を、右に左にゆすっている。

 その時、タっくんのお腹のあたりから、まぶしく光るヒモみたいなものが出てきた。それは強烈に光っているのに、部屋の壁やパパの顔や、どこも照らしていなかった。光るヒモは伸びていって、新幹線メガネのまわりを渦巻きはじめた。光る渦巻きに伸ばされて、レンズも渦巻いていった。右のレンズと左のレンズが引っぱられ、ねじれてゆく。

その夢みたいな光景は、一瞬まばたきをすると、消えた。

「あれ……?」

 やっぱり夢だったのかな。そう思って新幹線メガネを見ると、二つのレンズは渦を巻いて、ねじれている。

「チョコとバニラの、ソフトクリームみたい」

 レンズの先が細くなっていたので、どこかに刺さったら痛そうだった。私はそっと新幹線メガネをはずすと、タっくんの布団の横に置いて眠りについた。

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