スゲカエ ①

 

     「スゲカエ」     

  〈田沼誠司〉

 羅列されたソースコードが人を動かさないことを、田沼誠司は知っている。しかし自分が発した言葉の意味に反して他人が反応する、人間の感情や自尊心、競争心や嫉妬などの複雑な問題について、絶対に関わりたくないと心底思っている。コンピュータが意図した反応を示さないのは、自ら記述したコードの誤りによる。誠司は意図と反応の直線的な世界が好きであり、故に未だ引き籠もっている。

 部屋は質素に整い、例えいま血管が破裂しても特に問題なく死に逝ける。窓は磨りガラスで開けられることなく、厚手のカーテンはタッセルに束ねられたまま引かれることもない。誠司は光が入ることを厭わない。光は光子であり、人の醜穢さを含んでいない。

 平日の午後一時をまわった頃、誠司はドアを開けて階段を下りる。両親は仕事でいない。キッチンの小さなテーブルにはラップのかかった食事が用意されている。京菜のぬたに胡麻豆腐、茄子の味噌和えに白米、とろろ昆布の吸い物。四年前に精進料理のレシピと画像をメールで母に送ると、それ以来、完璧に再現された料理が母の決めた順序によって用意されるようになった。役所の職員である母は数字に正確で、二十四年間出産を除いて無遅刻無欠勤である。それは父が警察に連れて行かれた翌日でも変わらなかった。

 茶碗をそっと手に取り、米を箸で口にはこぶ。それは淡々と、殆ど音を立てることなく進められる。コントラストにより外からの工事の音が際立つ。しかし誠司が気にする様子はない。でも視線は無意識に、壁の砕けた穴に向けられていることがある。穴を見ている事が意識化されると、ほぼ同時に嫌気がさす。それを避けるために体の角度を変え、部屋の壁に点在する穴が見えにくい定位置に座っている。それでも冷蔵庫の左脇に、穴の半分ほどが見えてしまうのだった。五年生の秋から引き籠もり十九歳の現在に至るまで、こんなことが続いている。

 茶碗の最後の米を食べ、残りの吸い物を飲むと、音もなく箸をトレイに揃える。静かに息を吐きながら目を閉じると、すぐに誠司は立ち上がる。食後の食器を洗えるようになったのは、十四歳のころからだった。引き籠もるという状態が親の諦めと共に、やむを得ず認められたように感じられてからだった。

 流し台に向かう誠司の背後には、割れたガラスの食器棚や穴の開いた壁が広がる。それは他の部屋も同じような状態で、ガラスの破片や壁の穴の石膏屑は綺麗に片付けられているが、落下せず家具に残ったガラス片はそのまま交換することなく使われているのだ。リビングには画面の割れたブラウン管テレビの横に、デジタルテレビが置かれている。この家ではあらゆる傷が、癒える希望すら無いかのように、そのまま放置されていた。

 家の破壊は、その全てが父によるものだった。父が勤める信用金庫の苛烈なノルマや競争のストレスによるものかは分からない。確かなのは、暴れだすと父の目の色が変わるということ。これを誠司は子供のころ、はっきりと見た。黒目の部分が、ざらついた黄土色と青みがかる沼の混ざったような色になる。そうなると思いつく限りの罵倒語が母と誠司に向けられる。それでも不思議なのは、父の物理的な暴力が二人に向かうことが無かったのだ。その一線を父が越えることは無いと確信しているのか、或いは暴力に対する反抗の表現なのか未だに分からないが、父の暴れる中心で、母は何事も無いかのように本を読む。またはテレビをつけて見始めたりもした。

 誠司は自分の使った食器を長い時間かけて洗い、水気を拭き取って所定の場所に収めた。外の騒がしい工事の音は、休憩時間なのか止んでいる。そのとき水道の蛇口から、一滴の雫が美しく光を映したまま落ちた。それは何も壊すことなく、ただ自らが弾けた。

 部屋に戻ると水を入れた水筒を机に置き、パソコン画面に向かう。誠司はこの数年、顔認証技術に没頭している。顔認証を実現するには三つの技術段階に分かれる。第一にカメラで捉えた画面の中から人の顔の位置を特定する、第二に認識した顔の特徴を捉えるためパーツごとの位置を特定、第三にビッグデータとの照合により顔認証する。

 誠司が興味を持つのは第二段階までの技術で、将来的には、現実の特定した人の顔をリアルタイムで指定した顔画像に挿げ替える「スゲカエ」と、人が話してきた不快な言い方や攻撃的な言葉を瞬時に聞き心地のいいソフトな言葉に変換するコミュニケーションアシスト「コミュアシ」を完成させ、ARグラスとヘッドフォンを装着して外の世界でも生きていける可能性を妄想し模索している。

 いまはスゲカエをARグラスで実現するための過渡的な実験として、スマホ用アプリケーション開発の最終段階にある。必要な機材はネット経由で月数万円の収入があり、誠司は自分の収入で自ら購入している。

 フレーム内の顔として認識した領域を、目鼻口眉など任意の数十に及ぶ顔特徴点群を検出し、それらの位置関係からスゲカエられる人の表情を推定する。一方スゲカエる顔が現実の人ならば、正面左右の三方向からスマホのカメラで泣き笑いなどの表情を動かした動画をアプリに登録しておく。スゲカエたい顔が有名人などの場合には、その名前から画像検索して必要な量を画像収集してくる機能を備えている。使用する画像の著作権について、アプリには画像収集機能があるだけで、実際に画像を使うのは使用者であることから、大人のややこしい問題は回避できるだろうと誠司は踏んでいた。

 アプリを作り始めた動機は、竹内こずえにより惹き起こされた。誠司が顔認証のオープンソースとして公開されているプログラムを詳細に紐解く作業をしているころ、息抜きがてらに世界中の人の顔を検索して見るのが習慣になっていた。毎日毎日、何千何万と見てゆくなかで、まったく不意に、理想の顔に出会ったのだ。それが、竹内こずえだった。自分が他人に対して興味をもったことに、誠司は滑稽なまでに動揺した。

 調べると、彼女はアイドルグループの一員だった。そして出身が誠司と同じ熊谷で、さらに同学年であるという偶然も重なった。生まれて初めてではないかと思えるほどに、誠司は高揚した。同じ熊谷市内の、どこかの学校に竹内こずえが通っていたのだ。誠司はそれ以上、彼女のことを調べなかった。

 さえない人生の道端で、顔神さまに出会したようなものだった。自分のなかに生まれた理想顔を、誠司は死守しなければならない。過剰な情報は害だ。理想顔に不純物が紐付けられる可能性がある。そんな日々に、スゲカエのアイデアを思いついたのだった。

 

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