鯖江の街に梅雨がきたのは、北沢さんと最後に会う約束をした日のことだった。
シックな服装を意識し、施した薄化粧は、ささやかな私の演出のつもりでもある。
「この五年のあいだ、喧嘩すらしたことのない僕たちが、どうして別れなければならないのだろう」
私が切り出したあと、独り言のように北沢さんは呟いた。西山公園の中腹からは、園内で散歩する人たちを見下ろすことができる。でもこの天気では、人は疎らにしかいない。
「悲しいけれど、終わりにしましょう。きりがないから」私がいうと、
「Love is over?」彼は語尾をあげて即答した。
今年四十五になった彼が、曲の記憶を留める最後の世代だろうか。冬の日本海を想わせるような雲が、雨を降らせるでもなく流れてゆく。
正直いえばこの別れ話、五十の半ばを折り返した私の、臆病風ということなのかもしれない。老いてゆく残りの人生に、彼を巻き込みたくはない。それと、
「それと、チェリーブラッサムだよね。理絵さんの好きな曲」そういって彼は微笑んだ。
そう、恋の始まる歌。そして恋を締めくくる歌。まるで正反対の二つの曲。
北沢さんとの出会いは、私が前夫と別れて十年くらい過ぎた頃。もう人を好きになることもないだろうと思い始めた頃だった。彼も独り身で、奥さまを子供の出産と同時に亡くされたという。そして娘さんを東京の大学に送り出し、一息つけた時期だったのかもしれない。私は子供がいないこともあって、シングルで子育てをやり通した男性に興味を持ち、やがてそれが好奇心以上の気持ちであることに気づいた。
私にとって、きっと最後の恋になるだろう予感とともに、それは始まった。
「ねえ、あの二人見て! ほら、この間もいたあの二人」北沢さんが声を上げた。
この間ここを訪れた時にも、公園の芝生広場にいた高校生の二人。利発さと素朴さが同居する短髪の男の子と、素直さがその笑顔に溢れている女の子。
北沢さんが二人を見て「恋が始まりそうだね」というので、「それはないかな」と私はいった。それが二週間前のことだ。女の子の距離を縮めまいとする笑顔や話し方。男って、つくづく鈍感だなと思う。
「あの二人の恋の行方、僕のいう通りだったら、もう一度考え直してくれないか」
その言葉に不意をつかれた。今日の別れを決意して臨んだ私だったけれど、少年の山っ気にも似た無邪気さが可笑しくて、彼への答えもないまま、私は悪戯っぽく笑った。
薄曇りの午後、新しく入荷した木製のカップソーサーの陳列を終えた。亡くなった父がたたむ決意をした文具店を引き取り、改装して始めた雑貨屋だった。母屋にいる母の介護をしながら営んでいる。
レジ横の机で伝票の整理をと、かけた老眼鏡の金属フレームは北沢さんの工房による手作りのものだ。五年つき合った私を今でも「さん」付けで呼ぶような、
真面目で繊細な人柄が、フレームの曲線に息衝いている。
北沢さんと、上村さん。二人の顔を思い浮かべてみる、きっと彼らには幸せな未来が待っている。上村さんは北沢さんの工房で働く職人見習いの女性で、初めて会った時、目に輝きのある希望を見失うことのない人だと思った。彼女の想いに、まだ北沢さんは気づいていない。
商品の置き時計たちが、疎らに午後の時を刻んでいる。
その時ドアベルが鳴って、彼女が店に入ってきた。私は咄嗟に、動揺を抑えた声で挨拶をする。公園で見かけた高校生の女の子だった。近くで見ると、その端正な顔のつくりがより際立つ。女の子は店の三分の一も見ることなく、思い描く商品に辿り着いたようだ。勘のいい子だと感じた。
女の子が選んだのは、鮮やかなヒマワリのバッグチャーム。丁寧に細部まで編みこまれたクロッシェで、手の込んだ作りに私自身が感心した一品だった。
やっぱり女の子には、男の子以外に片思いしている人がいるのだと確信した。